悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセダーズ) その2
- masaya f
- 2018年3月18日
- 読了時間: 2分
更新日:2022年3月4日
今回はサトウハチロー氏 の歌詞に出てくる・・・・・「やるせない モヤモヤ」 「この限りない むなしさの」 「このもえたぎる 苦しさは」・・・・・の意味をずっと自分なりに考えてきたことを少し残しておきたいと思います。 この三つのフレーズは、基本的には同じことを意味しているのではないかと考えられます。 私の好きな画家のひとりにフランスのポール・ゴーガン(ゴーギャン)の絵に表題が「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」という絵があります。ここでゴーガンは人生の意味を問いかけていました。 また最近インターネット検索で調べることができない10の質問という記事がありました。 その一番目には「人生の意味は何ですか」、2番目には「神様は存在しますか」という質問でした。 アルバート・アインシュタインはこう述べました。「自分の人生を無意味なものとみる人は、幸福でないばかりか、生きるということそのものに適合していない 」。このような考え方から、芸術、科学研究、人道主義的な活動に身をささげて、人生を意味あるものにしようとする人たちもいます。 サトウハチロー氏のこの三つのフレーズは氏の根本的な疑問だったのかはわかりませんが、「このもえたぎる 苦しさは」は、答えを得ることのできない疑問への苦しさなのではなかったでしょうか。美しい夕焼けを見るたびに、永遠に続くその美しさ、雄大な自然に抱かれている時の流れと去りゆく人生の空しさ、そして答えの出ない人生への疑問があったのではないでしょうか?
また、失われた正常な親子関係 (彼は多感な時期に父との関係が良くなかった・・・) をふと思い起こすことの苦しさだったのでしょうか?しかし、1968年作だとするとそれも当てはまらないのでは?と思いこれは人生の意味についての自分と私たちへのメッセージではと思えてなりません。 実は私も子供のころ、田舎の満天の星を眺めながら泣いたことが思い出されます。漠然と死んだら何もなくなると思っていたのでしょう。その時なんで人間は死ぬのだろうかと初めて考えた時だったような気がします。もう遠い記憶です。今は聖書の希望で心の平安を得ています。サトウハチロー氏に聖書の希望をお伝えしたかったですね。
この「悲しくてやりきれない」は私の好きな歌です
そして触発されて後年出来た曲です。前向きな歌です。
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